「子曰ク、故キヲ温メテ(ネテ)、
新シキヲ知レバ、以ッテ師ト為ルベシ」
非常に感銘を受ける論語の一文句です。
ものづくり、政策などにも当てはめて
言えると思います。
「新しいものをやるには、過去の失敗、
反省などを必ず紐解いてから次にいくこと」
真新しい事をやるにも必ず古いものに
学ぶものはあります。
しかし、古いものだけに固執していても
何も進みはしません。
常に進んで行くという気持ちも忘れてはならない
と思います。
2009年11月27日金曜日
子曰、 温故而知新、可以為師矣
2009年8月26日水曜日
RSR 2009 他 Memo
DAISHI DANCE
セカイイチ
→Pia-no-jaC←
(ピアノジャック)
SAKEROCK
Dragon Ash
BEGIN
SOIL&"PIMP" SESSIONS
The Birthday
DJ TASAKA
TOBY
セカイイチ
→Pia-no-jaC←
(ピアノジャック)
SAKEROCK
Dragon Ash
BEGIN
SOIL&"PIMP" SESSIONS
The Birthday
DJ TASAKA
TOBY
2009年1月19日月曜日
ゆとり
「ゆとり」という言葉は素晴らしい言葉だ。近年は諸事情あるようで、あまりいい意味に聞くことが無い。
最近の自分を振り返ると無意味な柵に縛られる事や、走ってばかりで自分を振り返る余裕、ゆとりすら無かったように思う。
ゆとりは「時間」を「こころ」を「豊(ゆた)けきもの」とする意味で使われるべきものだ。
だが、その豊かさはどこに行ってしまっていたのだろうか。 自己にもそれは無く、またせかせか動く町で周りを見渡してもなかなか見出す事が出来ない。
人間の活動は豊かになったはずなのに、日々もにもなかなかゆとりを見出せず、ゆとりという言葉自体も曲がって使われている惨状だ。
自分は「考えながら走る」という目標を掲げて進んでいるつもりだ。しかし、あまりせかせかしていても色々なものが見えなくなるのも事実だ。
「考えながら歩く」、または「何もしない」時間もたまには必要なのかなと考えた。
最近、一日の最後に瞑想して自分と対話する時間も設けた。それから少し余裕が出来ている。
精神、身体を常に健全に保っている事はもちろん難しいだろうが、出来るだけ自然なままで居られるよう心がけたいと思う。
それが本来の「ゆとり」を作り出せるのではないかなと勝手に思っている。
睦月の初め、神宮(皇大神宮(内宮),豊受大神宮(外宮))参拝してきた。
荘厳な雰囲気に包まれた時の流れ、エネルギーの流れを感じる事が出来る憧れの場所だ。
新しい事を始めるとき、どうしようも無く行き詰った時、海に行ったり、山に行ったりもするが、神宮という「気」にあふれた地でゆったりとすると自分を更に一回り大きくするきっかけになる気がする。
こんな気持ちになれる日本人でよかったなと感じる。
神宮の木はとても静かに、自然に大きく根を張り立っている。
自分も大きな木が育つように何年もかけ太く、高く成長していけるのであれば幸せだ。
苔がむした大木のねもとを見ていると、この木はどれだけものを観て、どれだけのかかわり合いを持ち、成長してきたのだろうかと考えてしまう。
2008年9月21日日曜日
鳥瞰
気付けばあっという間に30歳。
三十路という言葉があるが、30歳ってかなり大人だと思っていた自分、
今の自分と照らし合わせるとまだ子供だ。
知識、技術等確かに増えたかもしれないが、脈々と流れている自分を形成するものは
やはり幼少期と大差が無い。
いつになったら「しっかりした大人」に見られるのだろうか。
周りからは良い評価もいただけるようになって来ては居るのだろうがまだまだあまちゃんもいいところだ。
仕事もプライベートもある程度は充実しているといいたいところだが、
やはり苦悩と葛藤の連続である。
だが、そんな自分の苦悩も遥か高くから見下ろせば、
足元に落ちた米粒にも満たない小さな苦悩だ。
孔子は、齢70にして、やっと悟ったという。
そんな人間が70だったら私は200歳になっても悟っていられるか不安である。
(ちなみに180歳まで生きるつもりでいる。)
幼少の頃より10代、20代で積み上げて来たものを開花させるのが30代だという話も
聞いた事があるが、30代にて始めて積み上げていくというものも多い。
周りの支え、自分の方向性、そういったものを明確に意識出来たのが今の精一杯の現状だ。
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